やらなければいけないことは「全て」
例えば,あなたがラーメン屋だったとして,お店を繁盛させたいとして,何を考えますか?
「考えるべきことはたくさんある」のですが,まずは「おいしいラーメンを作る」ということを考えてみましょう。
僕はラーメンのプロではないので間違ってるのかもしれませんが,ラーメン作りで考えることは「麺」「スープ」「具」の3つですよね。
例えば,スープをしっかりと研究して,そのスープにばっちり合うような麺を探し,もしくは作り,それらに合わせた具を考える。そんな感じだと思うんですよね。
では,例えば,そのラーメン屋さんが「スープ研究するの面倒だから,スープはインスタント。」とか言ってたらどうでしょうか?
たぶん「そんなラーメン屋行かない」っていう人が多いと思います。結果,そのお店は繁盛しませんわな。
「麺」「スープ」「具」の3つ全てを頑張らないといけないわけです。
「私は具は作るのは得意だけど,スープはちょっと…」とか言ってる場合ではないわけです。
じゃあダンスの場合はどうでしょうか?「ダンスが上手くなる」ということについて考えてみましょう。
ダンスが上手くなる要素は1つではありません。ここでは説明のため「心」「技」「体」としておきましょう(本当はもっと複雑ですけど)。
「筋力も持久力も柔軟性もないけど,トレーニングしんどいから,とりあえずレッスン通っとこう」とか。
こんな人いっぱいいますけど,「スープ研究するの面倒だから,スープはインスタント。」と同じレベルのこと言ってます。
そんな人のダンス,見たいですか?
「相手の立場に立って考えなさい」というありがたい教えがあり,親からも先生からも耳にタコができるほど聞いているにも関わらず,その辺を理解している人が少ないようです。
考えて欲しいのですが,あなたのダンスを見たい人っていると思います?
自分がお客さんなら,自分のダンス見に行きたいですか?
ちょっと脱線しました。
ラーメン作りは「麺」「スープ」「具」,「3つ全て」重要で必要です。
ダンスが上手くなるには「心」「技」「体」,「3つ全て」重要で必要です。
ここで「スープ研究するの面倒だから」というのは「個人的感情」であり,「あなたの都合」です。それは仕事には必要ありません。
「トレーニングしんどいから」というのは「個人的感情」であり,「あなたの都合」です。それはダンスが上手くなるには必要ありません。
「3つ全て必要だよ」と先生から言われているのであれば,「3つ全て必要」なんです。
そこで「でも私は1つしかやりたくないんです」とか「1つだけやって上手くなりませんか?」とか言ってる人が「上手くならない人」です。
そこで先生はこう思っています。
「別に1つだけでも良いよ。上手くなりたくないならね。」
上手くなりたいのであれば,やらなければいけないことは「全て」です。
上手くなりたいのであれば,やりたくなくてもやるのが「普通」です。
上手くなりたいくせに,「あれは無理,これはイヤ」と言ってるのは「残念な人」です。