必要なのは「やるべきことをやる」だけ
先日参加した京都のコンテストのキッズ部門の優勝は「Lil’K」というチームでした。
このチームは去年も優勝してるし,他の小学生の大会とかでも優勝しまくってるチームです。
なんというか「強いチーム」ってあります。「強いダンサー」っています。
そう簡単に結果が覆りません。何故なんでしょうか?
僕にはなんとなくわかります。
上手く言語化できませんが,やっぱり結果出してる人たちって「やることやってる」んだと思います。
で,結果出せてない人たちは「やることやってない」「どうにか楽してあそこまでたどり着けないかな?」とか考えてます。
Lil’Kの先生は,素晴らしいダンサーです。この人が教えてるからこそ上手くなるという考えはもちろんあります。
誰かに教えてもらうというのは,ある意味,「楽をしている」ということです。
その先生がたくさん回り道してきたことを,整理して教えてくれているわけですから。
でもその「楽」は,悪い「楽」ではないんですね。指導者がわざわざやらんでも良かったことを生徒にまでさせることはないんです。
しかし,だからこそ,教えられている内容は全て「必要なこと」なのです。
で,結果が出る人は,その教えられた「必要なこと」をきちんとして,結果がでない人はその「必要なこと」でさえ,回避して「なんとか上手くならないかなぁ」とか考えている人なんです。
おそらく,後者のような人間の方が世の中多いんです。
当然,僕が教えることも,僕が「必要だと思っていること」です。
でも,それでさえ,きちんとできる人はほとんどいないです。
そこをすっ飛ばして上手くなろうとしている人がたくさんいます。
階段をイメージしてください。Lil’Kは何段先を行ってるのでしょうか?
仮に10,000段先に行ってると考えてください。追いつこうと思ったらどうすれば良いのでしょうか?
複雑に考えないでください。仮に何段先に行っていようが,自分にできることは,まず1段登ることです。
Lil’Kが毎日1段ずつ上っているなら,2段ずつ上ればいつか追いつけます。3段ならもっと早く追いつけます。
考えることはそれしかないんですよ。
でも楽したい人は「なんとかこの階段を登らずに追いつけないかな」とか考えてしまいます。
そして,違う階段を上ったりして,そういうのを繰り返していって,またまた差がついてます。
有名ダンサーの生徒が全員上手いわけではありません。誰に習おうが「楽したい人」というのは現れます。
結局は,上手くなるのは「やるべきことをやった人」です。