エルンフォをやめて何が残るのか?

佐伯夕利子さんの「教えないスキル:ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術」を読みました。佐伯さんはスペインのサッカーチーム「ビジャレアル」の育成部スタッフだった方。現在は日本に戻り、Jリーグの常任理事をやっているみたいです。
で、この本はビジャレアルでの「育成改革」について書かれています。スペインリーグのサッカーチームなんてエリートが集まる厳しい世界で「いかにサッカーで勝つか」を教える組織だと思うじゃないですか。だからこそドロップアウトしてしまう人も多いみたいなんです。
よく言われているのが「引退後どうするの?」ってことで、元イングランドのプレミアリーグ選手の60%が引退後5年以内に自己破産してるそうです。あんなに大金を稼ぐ人たちが、引退後5年で地獄を見ているわけです。すごく夢がある仕事なんだけど、生活をするという面では僕たちよりも不幸になる可能性があるってことなんですよね。
17歳のサッカー選手が契約を切られたことで自死してしまったという例も紹介され、「このままサッカーを教えているのはどうなんだろう」という雰囲気になったみたいです。印象的な文章を引用すると
- 「選手じゃなくなったときの彼ら」に責任を持とう
- フットボーラーを育てればいいわけじゃない。”人”を育てるのだ
- 彼らが華々しい状態でなくなったときに、私たちの指導の成果がはかられるべきではないか?
みたいな感じ。商業的にも大きなお金が動くスペインリーグのサッカーチームでもこういうことを考えはじめたんだなと、すごく意外に感じました。
僕が大学生のころから考えていたこと
ちなみにエルンフォの理念は「生きるスキルを身につける」なんですが、これはビジュレアルの育成方針と変わりません。僕は「ダンスを通して、飯を食える力をつけてほしい」という思いがずっとあります。
こういう考えはいつから持っているかというと、僕が大学生のころからなんですね。これは僕の研究室の恩師「溝口達也」先生からの影響が大きいです。
僕は大学のころは数学の先生になるための勉強をしていたわけですが、そのときに口酸っぱく言われていたのは「我々は数学を教えているのではない。数学を通して人生を教えているのだ」ってことです。
学校の勉強って言われたら「テストのスコアを取る」「受験をパスする」っていう目的で行われていると考えている人は多いでしょう。生徒や保護者はもちろん、現場の先生でもそう考えている人は多いです。
でも大学で教育研究をしている人はまったくそういうことは考えてなくて、道を外しそうになったときは何度も引き戻されてきました。
大学4年生の夏に「教師にならずダンスの道を行きたいと思います」と相談したときも、怒るとかそんなことはまったくなく、「もちろん良いんだけど、僕の研究室にいたからには普通のダンスやってる人たちとは一線を画した考えは持ってて欲しいな」と言われ、今があります。
ダンスをやめても残るもの
僕はダンスが好きで、生徒にも好きになって欲しいから、ダンスのスキルに関してもちゃんと教えるけど、そういうダンスに特化したスキルはダンスをやめたときには意味がなくなります。ダンスやめた人がいくらウィッチウェイができても意味ないですから。
でも、礼儀だったり、何かを習得するスキルだったり、コミュニケーションだったりはダンスをやめても残ります。何かに熱量をもって没頭した経験は多くの人ができることではありません。
もちろん100人いて100人全員に伝えきるのは難しいですが、すこしでも深く付き合ってくれる方には、僕の信念が伝わればいいなと思っています。