教育的な支援
以前記事で書いたと思うのですが(消えちゃいましたが…)すごろく遊びをする子供たちを想像してください。
例えば,サイコロで4が出たとして,スタート地点を含めて「1,2,3,4」と指しながら移動したとします。
大人ならこれは間違いだと気付きます。
本当は次のマスから数えるべきですから。
では,その時に皆さんが指導者なら,なんと声をかけますか?
A:「出発点は数に入れるべきではない」
B:「もしサイコロが1の目を出したらどうなるの?」
Aの場合,子供たちの間違ったやり方は改まるかもしれませんが,この場面以外で正しくできる保証がありません。
Bの場合,1が出たら出発点を含めずに1つだけ進むことが期待できるでしょうし,違う場面においても,正しいやり方ができることが期待できます。
僕はAを「教化的な支援」,Bを「教育的な支援」と読んでいます。
で,皆さんが指導者(教師や親)ならどちらをするべきですか?
もうちょっと補足を。
Aの支援は「短期的で即効性」があります。
短期間で成果を出したかったらこれで良いです。
対してBの支援は「即効性はないけど,長期的に」教育的な効果が期待できます。
今すぐに効果は期待せずに,大人になった時に自分で飯を食えるようになるように育てたい,という場合は教育的な支援をします。
答えは「両方」ですよね。片方だけで上手くいくなら教育は楽です。
でも僕ならAとBの割合は3:7くらいにしますね。
Bを優先します。
でもおそらくほとんどのご家庭が「Aだけ」だと思うんですね。
なぜならBができるようになるにはちょっとしたトレーニングがいるし,学問として成立している話ですから,何もせずにいつのまにか身に付くということがほとんどありません。
教育的な支援ができるようになるには勉強しないといけないのです。
でも子育てもして仕事もしてると,勉強なんかする時間なんてないですよね。
だからBの考え方っていうのは広まりにくいのです。
結果,従順で,言われたことは高い水準でできてしまうけど,自分の意思がなく,自分から行動できない人間が生まれてしまいます。
有名大学を出たのはいいけど,社会に出たら使えない人のことです。
少し考えて欲しいのは,教育と世話は違うんです。
どちらも相手のためを思ってやってあげることだと思いますが,アプローチが全然違うし,それによってもたらされる結果も違います。
世話を焼きすぎると,世話がないと生きていけない人間になります。
それが「自立していない人間」です。