考察

「良し悪し」の土俵と「好き嫌い」の土俵

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『好き嫌い』と経営」という本を読みました。

その中で「好き嫌い」と「良し悪し」が対比されているのですが,読んでいて腹落ちするポイントがいくつもありました。

 

僕は今,物事の判断基準が「良し悪し」よりも「好き嫌い」に比重が傾いています。

ただこれもわりと最近の話で,以前は「良し悪し」を基準に生きてたなって思ってます。

「良し悪し」を基準に生きていると,悪いと感じるものに異常に反応してしまうんですよね。

例えば,今の世の中も炎上案件がいくつもありますが,もしかしたら今の僕が「良し悪し」を基準に生きていたら,その炎上に加担する人間になっていたかもしれません。

 

読みながら思ったのは,他人を批判する人って,もしかしたら「良し悪し」を基準に生きてるのかなって思いました。

しかもその良し悪しの基準が「常識的に」とか「世間的には」みたいな話し方をする人が多いです。

世間的な正しさみたいものがあり,それから外れると批判対象になる。今の世の中を見ていてもそんな感じ。

僕もたまになんか言われたりしますが,言ってくる人ってたいていこんな感じのことを言います。

そのたびに「この人は自分の意見はないのかな?」って思うんですよね。なんか世の中の意見のコピーみたいで何も響かないというか。

 

でも僕もたぶんそういう時期があったのだなと思って,反省はしているのですが,これが「好き嫌い」を基準に生きていると,ものすごく楽しくて楽なんです。

昔は「悪い」ものに目をつけて攻撃していましたが,今は「悪い」じゃなく「嫌い」になりました。そうなるとその嫌いなものに興味がなくなってくるんですよね。

だから批判とか攻撃するのではなく「距離をとる」という方針になっています。

お互いが嫌いなら,違う世界を生きていけば良いだけの話。しかし「良し悪し」を判断基準にしていると,なぜか相手を説得しがち。絶対に自分は変わらないけど,あなたは変わりなさいよ的な態度で接してきます。

 

誰かと話しているときでも「良し悪し」の話になると全然おもしろくなく,「好き嫌い」の話になるとめちゃくちゃおもしろいって思いません? それくらい「良し悪し」と「好き嫌い」は違う土俵にあるんだと思います。

現実問題,100%好き嫌いで生きるのって難しいのですが,だんだん好き嫌いのウェイトを増やしていきたいなって思っています。

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ABOUT ME
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鳥取ダンススクールエルンフォ代表
鳥取市でストリートダンスを教えています。
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